芸者と淫売屋

たとえばストリッパーというのは、赤裸々に言えば、陰部を開陳することが仕事なわけである。それでも彼女たちはショーガールであり、売るべき芸がある。踊っている姿は楽しそうだしプライドを感じる。これが単なる売春であったらどうなるのか?そこに「労働」というものの本質の一端が示唆されている希ガス
 
追記)
ところでソープランド嬢の各種テクニックは、これはこれで非常にニッポン的な、高度に発達した世界に類例のない文化だと思う。あれはあれで技能に対するプライドがあるのだろうか。消滅する前に研究が望まれる。
 

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/22/6518872
 赤松啓介氏は共産党員として逮捕され、特高から厳しい拷問を受けたのですが、非転向を貫きました。そんな彼でも、1945年の戦争末期ともなると、何時までも牢屋に閉じ込めていくわけにはいかなくなりました。彼は治安維持法ではなく、行政執行法で何年も警察の豚箱(留置場)にいたのですが、警察の人手不足のせいだったようで、釈放されました。しかし下っ端とはいえ、非転向の共産党員です。
 
 彼は出獄後、軍需工場(といっても軍服を作る工場)の監督として働くことを命じられました。そこでは、芸者や売春婦(当時の言葉では「淫売屋」)が戦時動員されて働きに来ており、それを監督する仕事だったのです。ここからが、民俗学者としての赤松啓介は本領を発揮します。芸者と淫売屋の性格が明瞭に違っていることを記録し、資料化していくのです。
 
 芸者は芸を習ってお金を稼いできた女性で、売春もやりますが、やはり芸の習い事をしてきたというプライドがあります。従って負けん気が強いのです。少しでもいい軍服を作ろうと、お互いに競争するようになります。
 しかし淫売屋は、全く働かない。言われたら言われただけのこと以外は、しようともしない。少しでも楽しようと、監督に言い寄ったりすることもあったとのことでした。
 この全く違う性格を有する女性たちを監督して軍服を作らせるというのが、彼の仕事だったわけです。戦争末期の短い期間でしたが、彼はそれでも民俗学徒として、あらゆる人間活動現象を観察し分析することを怠らなかったということです。(略)