近代建築ピンチ 23区内30年で73%消失
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/tokyo23/news/20111001-OYT8T00070.htm
 明治から戦前にかけて建てられた都内の「近代建築」が次々と姿を消している。都内の建築家らでつくる研究グループの調査では2010年までの30年間に、23区内では4分の3の建物が消失。都心部の中央、渋谷の2区では8割以上が失われた。国や都、区の文化財指定を受けていないためだが、建物は大半が個人や企業の私有物で、研究グループは「公的な保護制度が必要」と訴えている。(森重孝)

近代建築 明治から戦前にかけて建てられた建築物のうち、西洋風の様式が取り入れられたビルや邸宅。代表的なものには、千代田区法務省旧本館(赤レンガ庁舎)や北区の「旧古河邸」などがある。同期に建てられた純和風の建物は、「近代和風建築」などと呼んで区別することが多い。

 研究グループ「歴史・文化のまちづくり研究会」によると、日本建築学会が1980年に刊行した「日本近代建築総覧」掲載の、23区内の近代建築は2196件。このうち、2009年末時点で残存が確認されたのは585件だった。30年間で失われた建物の「消失率」は73・4%に上る。

 1980年の時点で、25件以上の近代建築が確認された17区で、最も消失が進んだのが中央区。30年前には265件が確認されたが、30年で83・8%に上る222件が解体されていた。

 最近も、地元住民や研究者から「文化財に相当する」「壊さずに残してほしい」などの要望があっても解体が進められるケースが相次いでいる。

 昨年8月には、関東大震災後の1926年に建てられた「中央区立明石小学校」が解体。純和風建築のため、近代建築には該当しないものの、国内最古の木造下宿屋とされた、築106年の「本郷館」(文京区)も取り壊され、更地になっている。いずれも所有者側が、「老朽化」や「耐震性に不安がある」などを理由に、保存は困難とされてきた。

 国や都などの文化財として指定されれば、保存は可能だ。指定を受けやすくするために、固定資産税の優遇措置などもあるが、都心部は地価が高いため、税務上の制度だけでは不十分で、建物の所有者も文化財に指定されることを望まないケースが多いという。

 文化財保護法では、所有者の同意がなくても指定が可能なケースもあるが、文化庁の担当者は「法的には可能でも、実際に踏み切ることは難しい」と明かす。

 「歴史・文化のまちづくり研究会」代表で、建築家の三舩康道さん(61)は、「地価が高い都心は、建物を維持するには費用もかかる。所有者にメリットが感じられる公的な保護制度がなければ、貴重な建築物を後世に残すのは一層難しくなるだろう」と指摘している。

 3日から解体工事が始まる渋谷区広尾の邸宅「羽沢ガーデン」でも、文化財としての保存を望む地元住民と、解体の意向を示す所有者とは平行線のままだ。

 羽沢ガーデンは1915年、満鉄総裁で東京市長も務めた中村是公邸として建設。伝統的な和風建築に、洋風の応接室や暖炉など取り入れた様式が特徴だ。戦後は料亭などに使われたが、2005年、閉鎖された。

 所有者の食肉販売会社「日山」(中央区)と三菱地所千代田区)などは07年頃から「建物の老朽化も激しく、いつまでも現状のままにしておけない」として解体の方針を決め、跡地にマンション建設を計画した。渋谷区には、都市計画法に基づく開発許可の申請に向けた事前相談を行った。

 これに対し、住民側は07年10月、「開発は緑地と文化を喪失させる」として、開発許可の権限などを持つ渋谷区や都に許可を出さないよう求め、東京地裁に提訴。現在も係争中。

 さらに、住民側は9月16日になって、都や区に解体の禁止を業者らに命じることや、同邸宅を文化財保護法に基づく史跡名勝として仮指定することなどを求め提訴。「行政訴訟の判決を待ってから着工すべきだ」として同21日には解体の差し止めを申し立てている。

(2011年10月1日 読売新聞)