職あれば食あり
【第19回】 2011年9月22日 曲沼美恵
時間に正確、忙しいのが好きな謎のインド人「立川談デリー」が日本とインドの架け橋になれた理由
http://diamond.jp/articles/-/14109
母国インドで日本語を学び、その達者な話術で一躍、旅行会社のカリスマ社員となったマルカスさん。1991年に独立し、旅行会社「アサヒトラベルサービス」を立ち上げたかと思えば、98年にはあの「立川流」に入門。家元の立川談志さんと漫才コンビを組み、「立川談デリー」として舞台に上った。
その詳しい経緯は前編(第18回)でご紹介した通りだが、彼の飽くなき挑戦はここでは終わらなかった。
(略)
「スパイスは漢方ですね。インド、今でも製薬会社が強い。じつはこのスパイスのため、インドは狙われました。イギリスも来ました、オランダも来た。だから、インドのバブルは今じゃないです。たぶん、7世紀くらいではじけたと思う」
(略)
インド人の8割が信じるヒンズー教は、日本でいう「八百万の神」によく似た土着の宗教だという。
「ヒンドゥー教の神様、どれくらいいるかわかりますか?」
「……わかりません」
「3億3000万です」
「!!!」
(略)
「経済発展で生活は変わりましたが、インドの文化は変わりません。むしろ以前よりももっと神様を拝むようになりました。どうしてだと思いますか? 経済発展も神様のおかげだからです」
(略)
仕事を終え、マルカスさんが日本へ帰ってきたのは3月25日のことである。帰りの機内では、みなが驚いたような表情でマルカスさんの顔を見た。「飛行機のなか、インド人、ほとんどいませんでした。だから、ほかの人たちみんな思ったと思いますね、どうしてこの人が日本行きの飛行機に乗っているのかな、と」
マルカスさんは考えた。
「避難所の人たち、毎日、冷めたものばかり食べています。早く、温かいもの食べて欲しい」
そして、ついに決意した。
「わたしも、チキンカレー作ります!」
インド人による炊き出し計画である。
仕事を通じて知り合った被災地のお寺に連絡をとると、「是非、来て下さい。受け入れの準備はわたしたちがしますから」と言われた。現地での材料調達は難しいと考え、チキンは東京から冷凍のものを持ち込んだ。
が、そこで予期せぬハプニングが起きた。
「チキンがぜんぜんとけないの(笑)」
折悪しく、当日は雪が降ったからである。
インド人&日本人の炊きだしチームは手分けして水を汲み、お湯を沸かした。
「インド人がカレー作る、これ、子どもたちにウケた(笑)」
(略)