訒樸方

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 当NPO設立のきっかけは、2000年7月の中国障害者芸術団の日本招聘公演でした。
 1993年に開催されたアジア太平洋障害者会議で、当芸術団のアジア各国への招聘活動が提案、承認されました。が、提案国である日本において、具体的な招聘計画が進んでいませんでした。当時、郵政省の特殊法人である通信放送機構(TAO)で 日中間を通信衛星で結ぶODA事業を担当していた私(下の写真左)が、当芸術団の上部組織である中国障害者連合会の訒樸方主席(下の写真右)から、主席一行および当芸術団の総勢50数名の日本招聘公演を依頼され、日本政府や企業および超党派の国会議員の皆さんからの支援を受けて、実現することができました。
 
 訒樸方主席は、故 訒小平中央軍事委員会主席の長男です。 北京大学の核物理学研究生だった勝g樸方氏は、文化大革命の際、訒小平氏の息子という理由だけで、迫害を受け、重度の下半身不随になってしまいました。訒小平ご夫妻とともに、地方(江西省南昌市)に幽閉状態だったのですが、自宅にいた訒樸方氏は林彪事件をラジオで知り、すぐに勝g小平氏に知らせました。この緊急時に対応するため訒小平氏は、毛澤東国家主席に手紙をおくり、そのことにより、中央政権に復帰することができました。その後の氏のご活躍は、みなさんご存知の通りです。 (略)
 
 私が、中国障害者芸術団の日本招聘公演を行なった理由は、3つあります。1つは、この芸術団の演技はとても素晴らしく感動を覚えたからです。 そして、この公演を1人でも多くの日本の障害者に紹介したいと思ったからです。2つめは、私にこの招聘公演の依頼が来るまでに、招聘することを約束した日本人がいたのですが、行動に移して来なかったことです。 「言必信、行必果」(約束したことは守る、行動したら結果を出す)を信条にしてきた私にとって、彼らに代わって実現したいと言う気持ちが強かったからです。 
3つめは、訒樸方氏からお聞したのですが、この芸術団の公演を日本で行なうことは、亡くなられた訒小平氏のご遺言であったということです。 ここでは詳細について触れませんが、現在の中国を創った偉大な指導者のお役に立ちたいと考えた次第です。