1941〜1945年の物価上昇率は50%?

なんか少なすぎる希ガス
ああ、そうか、対外レートじゃないからか。
漏れの認識では明治維新で1ドル1円。
大東亜戦争前に1ドル2円、敗戦時4円。
46年からインフレが始まり49年に360円。これが最安値。
体制崩壊で通貨は100分の1になる」というのがザックリした漏れの考えw
いずれにしても日銀引受しても悪性インフレなど起きなかったのは事実だ。

2011-05-10 10:53:42
「歴史的教訓」と「通貨の信認」
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi
(略)
<図>
出典:消費者庁「戦前からの物価指数の長期系列」
 
 グラフの始まりである1923年は、関東大震災が発生した年です。関東大震災は、何しろ首都東京を直撃したため、日本国内の金融システムが一時的に麻痺状態に陥ってしまいました。
 
 さらに、震災復興で需要(GDP)が回復した途端に、日本政府が緊縮財政に舵を切った(まさに橋本政権そのままです)結果、日本経済は深刻なデフレ状況に陥ってしまいます。1926年の東京小売物価指数は、対前年比で8%超も下落したわけで、まさしく「デフレ」です。
 
 その後、日本経済は何とかデフレ脱却に向けて歩み始めたのですが、1929年のアメリカ発の大恐慌と、濱口内閣の緊縮財政、産業合理化(いわゆる「改革」)により、またまたデフレに突っ込んでしまいます。1930年の東京小売物価指数は、何と対前年比で14.6%のマイナスになったのです。
 
 デフレに落ち込んでしまった日本経済を救うため、高橋是清が蔵相として再登板(26年、27年の恐慌を収めたのも高橋是清)し、日銀国債引き受けや政府支出拡大といった、いわゆるリフレーション政策を採用しました。結果、日本経済は世界が羨むほどのスピードで、早期に恐慌状態から脱出することができたわけです。
 
 その後、高橋是清は1936年2月26日の226事件で命を落とすことになります。高橋是清が狙われた最大の理由は、1934年に発足した岡田啓介内閣の大蔵大臣として、先の犬養内閣の大蔵大臣時代に、自ら始めたリフレーション政策が目標を達したとして、軍事費の削減に乗り出したためです。
 
 いずれにせよ、関東大震災から226事件まで、日本のインフレ率は日銀引受が行われていた時期を含め、きわめて低い水準(多くの年でマイナス)で推移しました。その後、1937年に日中戦争が始まり、東京の小売物価指数は上昇していきます。
 
 今も昔も、戦争こそが最もインフレ率を高めるわけです。日本国内で生産される武器弾薬は、次々に軍隊により消費されますが、その費用はもちろん政府支出により賄われるわけです。政府支出にしても、GDPの需要項目の一部です。リソースが軍に割かれ、供給能力が高まりにくい中、需要が拡大する一方になるため、物価は上昇傾向に向かうわけでございます。
 
 さらに、日本の物価上昇は1941年以降に本格化していきます。。もちろん、太平洋戦争勃発が原因です。
 
 いずれにせよ、高橋是清存命の時代、東京小売物価指数の上昇率は、ピークの1933年であっても6.5%に過ぎなかったわけです。小売物価指数上昇率6.5%を「凄まじいインフレ!」と評価するかどうかは、個人の価値観の問題ですが、少なくとも、日銀の国債引き受けが「インフレを暴走させた」という歴史的事実は存在しません。インフレ率を高騰させたのは、戦争です。
(略)

1949年4月23日、GHQは日本円とアメリカドルの交換レートを1ドル=360円と定めました。
このレートは「スミソニアンレート」が採用された1971年まで22年間にわたって維持されました。
http://www.ffortune.net/social/seso/nihon-today/360yen.htm