アメリカ人よ、なぜ鶴を折る

まえにも書いたけど「9.11」の記念館には千羽鶴が飾ってあり『Sadako』の絵本も売っている。
漏れも知らなかったけど『Sadako』って全米の小学校の副読本で有名らしいのだ。
だから中国系米国人が贈ってくれたし、日本人と無関係の場所でも既に習俗化している。
そして「3.11」での動きに繋がった。
なんだかうまく分析できないけれど、祈りを形にするものとして折鶴って優れたアイテムなような気がする。

2011年4月11日(月)
アメリカ人よ、なぜ鶴を折る
全米に広がる「Orizuruを日本へ」
りっふ雅映子 、 加藤靖子
http://business.nikkeibp.co.jp/article/manage/20110408/219373/?P=1
(略)
 3月17日、地震から1週間がたった。
 
 「なんじゃ、これ…」
 
 メールのタイトルを見て驚いた。そこには「1 MILLION CRANES CAMPAIGN〜 American Universities showing support for Japan(100万羽の鶴キャンペーン、アメリカの大学生の気持ちを日本へ届けよう)」という文字が並んでいた。
 
 送り主は名門プリンストン大学生の柴田明日美さん、18歳。日本に生まれ、4歳のときにアメリカに越した。アジア人がほとんどいないアイオワ州に住み、中学のときに東海岸プリンストンに引っ越した。日本語は話せるが、読むことも書くこともできない。
 
 彼女は今、折り鶴を全米で作り、それをニューヨーク現代美術館(MOMA)などに展示できないかと動いている。目標は100万羽。いつか日本に送るのが夢だ。メールは、鶴を折ってくれる人を募集する内容だった。現在、イエール大学ニューヨーク大学、バブソン大学など50以上の大学やそのほかの団体が、一緒に鶴を折ることになっている。
(略)
アメリカは募金活動が盛んな国だ。学校の食堂やパブリックスペースでは、いつも募金活動が行われている。柴田さんも最初は募金活動が頭に浮かんだ。

 しかし、彼女の心はどこか満足できなかった。

 「募金活動もしよう。でも、それだけではなく、自分も汗をかきたい」

 彼女が思い出したのが千羽鶴だった。1年前、大学の日本語教師だった母親が体を崩した時、中国人の学生が2日間で100羽の鶴を折って持ってきてくれたことがある。

 「母のために時間をかけて祈ってくれた。同じことを被災者の方にしたいんです」

 鶴を折りにやって来たプリンストン大学のクイントン・ベック君は、「小学校の時に友達が白血病になってしまって、みんなで千羽鶴を折ったんだ」と教えてくれた。

 折り鶴は、あっという間に入手できる花束でもなく、財布から取り出すだけのお金とも違う。時間をかけて作り上げるから、それだけ贈った人の気持ちが伝えられると信じている。
(略)
 実は、多くのアメリカ人に千羽鶴と一緒に覚えられている日本の少女がいる。
 
 その名は佐々木禎子。2歳のときに広島で被爆し、11歳のときに白血病を発症した。走るのが大好きだった禎子は、発症後も元気になって退院できることを夢見て、千羽鶴を折り続けたが、1年後に息を引き取っている。
 
 この実話を元に、1977年にカナダ生まれのアメリカ人作家であるエレノア・コア氏が「Sadako and the thousand paper cranes(禎子と千羽鶴)」という本を書いた。物語の中でサダコは、644羽を折り終えたところで息を引き取っている。その思いを友人たちが引き継いで、残りの356羽の鶴を折るストーリーとなっている。この出版以来、米国の多くの小学校で副読本として読まれ続けている。広島市が1999年と2000年に実施した調査では、折り鶴を送ってきた人のうち、「サダコ」の認知度は、日本人の約6割に対し、外国人は9割を超えていたという。
 
 「困難に立ち向かう姿」「信じる力」「友との支えあい」。サダコから強い影響を受け、記憶しているアメリカ人にとって、折り鶴は日本人が考えている以上の存在となっている。
 
 だから、鶴を折る理由の答えは1つではない。だからこそ、全米に折り鶴が広がっている。ニューヨーク、ボストン、ロサンゼルス、サンフランシスコなどの大都市だけではない。小さな町でも、日本の被災者に向けて「折り鶴」を送る計画が進んでいる。
  
 今日も、明日も、明後日も、多くのアメリカ人がそれぞれの想いを胸に、鶴を折り続けるだろう。
(略)