英語で書かれた原稿が、インドで編集されて本になる

日経ビジネスから。
 
韓国教育絡みでメモ。
エリート層が宗主国の言語を学ぶのは別に珍しいことじゃない。
母国語で思想哲学科学といったハイカルチャーを語れる国のほうが例外なのです。
米・欧・露・日くらい。(つまり19世紀列強だけ)
中国ですら駄目で日式漢語で凌いでいる状況。
だからエリート層が外国語で教育されていることは威張れることじゃないんですよね。
でもその自足体制が劣化したらどうしようもないわけで、ソエジーが常々問題にしている世界標準とのズレが生じちゃう。だからやっぱり世界の知識人と疎通できる外国語は必須なのだと思うわけです。
 
追記)
かくいう漏れも英語の本を読むのですら四苦八苦。
電子読書が普通になって読書デバイスが辞書と連動するようになること期待(笑)
 

英語で書かれた原稿が、インドで編集されて本になる
“正統な”英語を身につけ始めたインド人
河合江理子
2010年11月2日(火)
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20101028/216860/?P=1<<
 
(略)
家庭で自分の地域語を話し、専門的な話は英語で行うというのは、多くのインド人に言えることだ。高校から数理系、商業や経済を勉強する人は、特に英語は必須である。大学入試試験が英語で行われるため、英語を熱心に勉強する人が多い。学校のレベルが低い場合は、英語の塾に通うのが一般的らしい。
(略)
 このようにインドでは英語公用語化によるメリットを享受しているが、デメリットもある。将来的に、地域語が衰退し、インドの地域語の文学の維持が難しくなるかもしれない。今インドでは英語で文学を書くインド人が急増している。英語で書けば世界中で注目されるが、地域語で書いても世界に発信されないというのが背景にある。収入面でも英語で書くのと地域語で書くのでは雲泥の差がある。そうすると、才能がある人がますます英語で発信するようになり、地域語は単なる家族で話される言葉というステータスに陥ることになる。
(略)
 また、インドが英語公用語化の恩恵により経済発展を遂げたと述べたが、間違えてならないのは、英語公用語化が牽引となったのではなく、あくまでもITや理数系の分野で秀でた才能の人材がいて彼らが英語で能力を100%発揮できたからである。旧英国植民地で英語が(第二)公用語となっている国でも、それ以外の能力がある人材がいなければ決して英語公用語化の恩恵にはあずからないであろう。
(略)