- 作者: 三谷博,並木頼寿,月脚達彦
- 出版社/メーカー: 東京大学出版会
- 発売日: 2009/10/31
- メディア: 単行本
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ネトウヨも子供向けの啓蒙書ばかり読んでないで、もっと学術レベルの議論に目を通すべきだよな。
この本は学術レベルの論文でありながら素人も読みやすい良書だった。
幕末ニッポンの情勢も「黒船ー幕府」という近視眼じゃなくて、環太平洋を俯瞰する視点でみればよく理解できる。
しかし書名が問題だ。事実上日中朝三国史なのにそれがわかんない。
英文では"A MODERN HISTORY FOR FAR EAST ASIAN PEOPLE"なのに・・・編集者のチョンボ?
ところで本文も良いのだが、それぞれの章ごとに学者のコメントがついているのが面白い。
下記引用2人のコメントでは朱子学の影響に対する評価が180度逆である。(笑)
韓国人?の朴さんは明治の公論政治を朱子学的「天地公共の理」という唯一の原理をないがしろにしたと批判する。
一方苅部さんは公論政治とは元々利害の調整の要因を含むものなのに、儒教原理主義の理念に囚われて政治を軽視する弊害をもたらしたと指摘する。
漏れは苅部さんの言うことがもっともだと思う。やっぱり韓国人って儒教原理主義にいまだに囚われているんだなあとおもた。
それが日本人の嫌いな上から目線=「唯一の正しい歴史・政治」に擬して他者を見下す態度に繋がるんだよね。
民主主義とは絶対の正しさを擬さないことが要諦なんだと思うのだ。
さてさて共産党の強い東大出版会だけど20世紀篇はどうなることやらwktk(^_^)
第12章 日本世論の二重反転
(略)コメント・2 議論政治から制度化へ
(略)”議論政治”から生じかねない闘争・分裂をうまく回避し、公論政治の慣習を積み重ねていって、ついにその制度化(憲法制定)まで漕ぎ着けた。ただ、その公論政治が強いナショナリズムと結びつき、小楠の「天地公共の理」の実現を粗忽にしたのは遺憾なことであった。この歴史的経験を21世紀の日本人はどう振り返り、行動しようとするのだろうか。(朴薫)コメント・3 「公儀」「公論」の光と影
国の政策を進めるのは、当局者の専権事項ではなく、ひろく意見を募り、多数の参加者が討論を闘わせるやり方が望ましいとする発想は、徳川末期に幅広く見られた。由利公正が五箇条誓文の起草にあたり、やがて民撰議院設立建白書(1874年)に名を連ねたことに現れているように、この「公儀」「公論」重視の発想が、日本における議会制度のすみやかな導入と定着を支えたのである。だが他面、それは、横井小南に見られるように、究極には一つの「理」を発見ための討論という、儒学(朱子学)の発想を基盤としていた。そのため、議会での議論については、必ず一つの理想にすんなり行き着くべきだという期待が先走って、政党どうしの対立は、一部の者の利害に固執する不純な態度と見られてしまう場合が、現代でも多い。日本がいち早く立憲国家となりえた要因は、他面でまた、政党政治に対する不信をも導いたのである。(苅部直)