ハンセン病


   
ところで以前から気になっている思考形式についてメモっておく。
というのは、不幸には必ず原因があり、その原因を排除すれば万事解決、という思考法である。
例えば

朝鮮史は惨めに思われている
・それは日帝のせいだ
日帝残滓を取り除けば本当の輝かしい歴史が明らかになる

というようなものだ。
ここでは「日帝」(およびその歴史観)という悪の原因が特定されているので、それを除けば万事解決ということになる。
しかし、漏れが疑問だったのは、誰も悪くなくたって惨めな歴史があるのではないか?日帝支配と無関係に朝鮮の歴史は存在する。その朝鮮史が惨めだったのか惨めでなかったかは日帝とは無関係だ。だから日帝残滓を取り除いたって必ずしも輝かしい歴史になるとは限らないじゃないか。それに偶々朝鮮史が惨めでなかったとしても、そうでないケース、栄光などない歴史だって存在するのではないか?ということだった。
悪意の有無とは関係なくこの世には悲劇があるのでは?という疑問だ。(”歴史”が物語であるというメタレベルの認識論はここでは措く)
   
で、ハンセン病(昔でいうところの癩)についての近年の報道にも同じ違和感を感じるのだ。
漏れはハンセン病者はたいへん悲惨な目にあったということに同意する。
しかしハンセン病者の悲劇は日帝のせいだ、という断定になると(゜o゜)ヾ(--;オイオイ...と思う。
日帝」さえいなければハンセン病者は平穏無事に生きていけたのか?
当たり前だが「日帝」以外の地域のハンセン病者もそれぞれに辛い人生を歩んでいた。
ハンセン病の悲劇=日帝の悪行ではない。
病それ自体の悲劇というものを認めないとすれば、傲慢な考え方に感じる。
   
悲劇があれば原因となる敵を剔出し、それを糾弾すれば悲劇を排除できる・・・
これは障碍者解放運動やエイズ救済運動で資本主義が悪い、「天皇制」身分意識が悪い、などなど言い募る構図と同じだ。
そういう側面があるかもしれないが、やっぱり単純に病気そのものの悲劇が基本だろうと思うのだ。
あたかも資本主義やら日帝やら天皇制やらを打倒すれば病気も差別もすべて解放されるというのは、プロパガンダと言って悪ければ信仰に過ぎないと思う。
   
で、ハンセン病だが、サヨクは相変わらず近代日本政府が「必要以上に」伝染病であることを喧伝し、人権侵害の隔離をしたために患者が酷い目にあったとしている。
http://www.seko-yukiko.gr.jp/hansen/article/13.html
しかしである。個々の収容所での待遇に問題があったにせよ、感染症であることが明らかになり、前後して欧州で大流行しているのである。政府として感染症の危険を啓蒙し隔離策をとったこと自体は適切な措置だっただろう。その課程で偏見や誤解を阻止する努力に不足があったことはあるのだろうが、そればかり言い立てることはアンフェアに思う。実際治療法が確立する前の開放治療では再発が頻発し1923年の国際会議では隔離政策が再確認されたという。1931年の癩予防法改正も社会的困窮者に治療枠を拡げるという福祉的発想で始まったようだ。(もう反面は社会衛生)
感染力が弱いのに隔離した!という非難は5%といわれる感染率をどう考えかに依るけれど、漏れとしては治療法のない時代の5%は致命的な高率に思える。戦時中のアメリカで発見された特効薬を前提に隔離政策の転換の呼びかけが行われたのは1956年であり、この時点までの隔離政策自体はやむを得なかったと判断する。もちろん、その基本政策の運用に当たって、時代の制約のなかで、十分な人権保障や待遇がなされていたかどうかは別問題であるが。(日帝朝鮮人を二重の抑圧に置いた云々という非難は的外れだと思う)
よって問題は1956年に指摘を受けてから実際に開放政策に転じた1996年までの時間差をどう考えるかになのじゃないか?
  

前史 古代エジプトの頃から知られる。日本でも9世紀に記録あり。宗教と結びき遺伝病と考えられた。
1873 癩病菌の発見=伝染病であることがわかる。直後欧州で流行。
1897 第1回国際癩学会=強制隔離政策の提言
1907 (日本)癩予防法
1909 第2回国際癩学会=患者からの子供隔離強化
1920 治療薬大風子油の発見
1923 第3回国際癩学会=開放治療の失敗報告、隔離強化
1931 (日本)癩予防法改正
1938 第4回国際癩学会=大風子油治療の提言と開放治療の試み
1941 特効薬プロミンの発見
1953 (日本)らい予防法
1956 ローマ宣言=プロミン治療による隔離政策の否定
1996 (日本)らい予防法廃止
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%BB%E3%83%B3%E7%97%85%E5%95%8F%E9%A1%8C
http://www.geocities.jp/furusatohp/panerurten/rekisi0.html

   
追記)
画像はイエスハンセン病者を癒す有名なシーン。
むかし映画『ベンハー』では主人公が癩病者のコロニーに零落した母を見つけ泪するシーンがあったが、普通に「癩病」と言っていた。いまはどうするんだろう?2000年前の話で19世紀の医者の名を冠した病名で呼ぶのはおかしいだろ。だいたいあの映画の中では「不治の病」という描写だからシーン丸ごとカットになるか?それともテーマは被差別の不治の病に侵された母なのだから、架空のX病とでも誤魔化すか?なんだかどんどん不自然になって却って差別的な気がする。歴史的用語はそのまま使い、解説をつけるのが一番おかしくならなくて良いと思うんだけど)