日本の難点
- 作者: 宮台真司
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2009/04/01
- メディア: 新書
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超久しぶりに宮台真司。
そういえばジャパンハンドラーズさんとこで東浩紀&ネオアカ一派が否定されていた。
さて、東氏に対する私の評価を述べる。東氏は、いわゆる「ポストモダン」という分野への言及を、アニメやオタク文化の評論を通じてやった人だが、実際のところはこうである。つまり、「東氏のオタク評論のみが電通や博報堂にうまい具合に利用された」のである。オタク文化に80年代にどっぷりつかって、オタク文化に関する情報を、フランスの現代思想同様に蓄積してきた、東氏が書いたオタク評論は、オタク自身がオタク文化を要素に分けて解明し、「データベース」化したのである。
そして、これに目をつけたのが広告会社の博報堂だったろう。オタクの要素をうまく組み合わせる(東氏の言葉では「二次創作」という)ことで、電通や博報堂は「効率的に」、若い世代向けの「企画提案」を行えるわけだ。東氏は、「萌え要素」というものが、成功するアニメキャラにとっては重要だと述べているが、これをデータベース化するために、東氏の一連のオタク研究は利用されたのだ。
そして、ここにもまた、堀井憲一郎の主張する、『若者殺しの時代』のモデルが出現する。電通・博報堂という大企業(=大人)たちが、オタク族や東氏のようなオタク評論家(もともと大学教授の職にはなかったので、生活の糧としてのオタク評論家を引き受けた)たち(=若者)を取り込んで、飼い殺しにして、データベースを構築させたわけである。(「させた」というのは言い過ぎか。東氏はそれに乗っかったわけだから)
堀井は、若者文化である「ディズニーランド」や「トレンディドラマ」を、大人である大企業の論理が利用すると論じたことで、1970年代以降の日本文化を全て丸ごと要約してしまったのだ。堀井氏の評論はだから凄いのだ。これに比べれば、文化の構成要素を部品(例えば「萌え要素」)ごとに因数分解しただけの、東氏の業績はたいしたことはないのだ。いわば、「部品業者」にすぎない。(略)
この本[『動物化する世界の中で−全共闘以降の日本、ポストモダン以降の批評』]の最大の功績は、「ポストモダンは所詮世代論であり、それについて深く考えるのは時間の無駄」ということを教えてくれたことにある。
そして、文化評論もまた、広告会社のプロパガンダの道具に使われるということである。
http://amesei.exblog.jp/
宮台って別にフランスじゃないよな。社会システム論=ルーマンなんだよね。
自分でも言っているように学生時代のマーケッティング会社でサブカル消費者を分析したのが彼の原点なんだよ。
サブカル消費者分析が先で『権力の予期理論』が後。ここ重要。
そう考えれば東がヲタク分析をするのも縮小再生産的にまったく自然な流れ。
東もデリダとはいいながら実際やっているのはシステム分析なのでアルル氏のネオ赤批評はちょっとずれていると思うけど、まぁ日本におけるネオ赤っていう限りでは当たっている気もするけどな。
宮台〜東路線というのは実は思想的には空っぽなんだと思う。これは別に悪い意味で言っているんではない。
ただシステムから思想=価値が導出できないという当たり前のことを言っているだけ。
逆に言えば思想に織り込むのは彼らの本職?とは違う好みとしか言いようがないし、それでいいのだ、と思う。
(宮台は(小室+廣松)×新左翼だし、東は無し。ψ( `∇´ )ψ)
そうであるならば対話が成り立たず世代論になっちゃうのはアルルさんの指摘通りだ。
(でもそれじゃ『思想地図』を立ち上げた意味がないんだけど・・・(^_^;))
ただ、団塊世代もその後のサヨクも論理がなかったことがわかり、対話が成り立たないことが露呈したというのには意味がある。
そこからしか思想の再建はあり得ないし、論理を基軸とした対話が成り立つようになったとき、それこそが本当に新世代ということだろうからだ。