ヤマト国の日の御子

       

          
邪馬臺国がヤマタイコクと読まれていることが気にくわない。
ヤマト国である。
これが後にヤマト朝廷に発展する。
                      

古代の日本語の音韻法則では母音のみの音節が語頭以外にくることはありません。現代の発音では、「青(アオ)」のように語尾に母音がくる語がありますが、これも古くは「アヲ(awo)」であり、語尾はワ行音ですから、母音のみの音節が語尾に来ていたわけではありません。「青(アヲ)」の場合はワ行音の発音の変化の結果として「青(アオ)」に変化して語尾が母音のみの音節になったわけです。つまり、古代日本においては、

「ヤ・マ・タ・イ」と語尾に「イ」という母音のみの音節がくる語はありえない
              
http://members3.jcom.home.ne.jp/wakokunosobo/hougen/7Days/yamato.html

「臺」は乙類の「ト」または「ド」を表記したものであり、したがって「邪馬臺」は「ヤマト(乙)」または「ヤマド(乙)」である、            
先に見たように、畿内の古地名「ヤマト」の「ト」もまた、乙類です。これに対し、邪馬臺国九州説の候補地の一つである筑後山門の「門」は甲類の「ト」であり、「臺」とは甲乙が違います
                  
畿内大和と「邪馬臺」の音は正確に一致している

ヒミコ  生172-没247
トヨ    生235-没???
倭国内乱  177-187年
倭国内乱  247年
    
ヒミコ即位 187(15歳)
遣魏使1  239(67歳)
遣魏使2  243(71歳)
トヨ即位  248(13歳)
遣晋使   266(31歳)

   
いわゆる魏志倭人伝ではレポーターたる魏の使者はヤマトまで行っていない。
外務省である伊都国に滞在。せいぜい実見聞したのは九州の中心である奴国まで。
邪馬臺国九州説は伊都国・奴国をヤマトと勘違いしたところで成り立っている。