転校生とブラック・ジャック

   
漏れの年来の主張に「哲学と思想は全く違う」というのがある。
日本語で哲学というと挙げ句の果ては人生哲学とかいって人生論とすら混同されており、「人それぞれに哲学がある」みたいな考え方・価値観のようなものと思われていて気持ち悪い。
漏れの考えでは哲学は「科学」の一部であり(本当は自然科学がフィロソフィアの一部だと思うのだが・・・)、数学や物理と同じようなものだと考えている。だから素人の価値観や人生観なんかまるで関係ないし、政治的主張とリンクなどしないのだ。物理学会で人生観を披瀝してだから物理法則はこうなるべきですなんて発言したらタダのキ印である。
で、本職の「哲学者」(中島義道風に言えば「哲学学者」)でもこの辺を勘違いしているアホが多くて、なんだか自分の思想を哲学として披瀝する馬鹿が後を絶たない。
(余談だが、こないだ放送大学民族主義の講義がやっていて、現代では民族主義は批判対象なのだが、やりすぎると民族解放運動も批判されかねないから批判理論を修正するとか言っていたが、ギザご都合主義的でワロタ。そういう近視眼的な政治課題と理論が癒着しているからカルスタポスコロは所詮アジビラと言われちゃうんだよ。くだらない)
そういう意味で永井はまったく正しい哲学者だ。
まえまえからそう思っていたが、この本の終章『談話室』で楽屋ネタ的にその辺の事情が語られていて