実は大国、日本。

 
ニューズウィークはグローバリストの情宣雑誌だと思っているので立ち読みしかしないのだが、ちょっと興味深い記事を見つけた。
 
著者のコンさんは典型的な韓国サヨク(386世代)で日本で韓流ブームが起きたときは小躍りして喜んでいた。ところがWBCでのイチロー愛国主義を見せつけられ「日本をあきらめ」ようかと考えたそうである。それはどうでも良いのだが、その後彼はなぜ韓国人である自分がこれほど日本に拘るのか、と内省した。そのときに「もし日本が本当に足を踏んでいないとしたら」と仮定すると「日本という巨大な影に怯える韓国の姿」が見えてきたそうである。これは興味深い展開だ。普通こういう人たちは「日本は足を踏んだ」というドグマからすべての思考を演繹している。それは宗教的態度だ。「もしそうではなかったら」という可能性に思い至ったとき、はじめて日本を相対化できるのだ。そこからまともな日韓関係が始まるだろう。このコラムはその可能性をかいま見せたメルクマール的なものだと思う。
  
ところで嫌韓厨ならここで思考停止するかもしれないが、この構図はそのまま日本と米国に当てはまることに気付く。
何故日本人野球選手が大リーグで活躍することに一喜一憂するのか。米国という巨大な影に怯える日本の姿が浮かんでくるのである。日本が米国を克服する兆候は現れているだろうか?
  

【論説】日本という巨大な影に怯える韓国の姿…日本の言動に一喜一憂するのはやめよう
1 :諸君、私はニュースが好きだφ ★ :2006/06/06(火) 19:06:19 ID:???0
 この数ヶ月、僕は鬱状態にある。発端はイチローだ。WBCでの「30年発言」や「屈辱的」といった表現を挑発と受け止めた韓国。それに対し「反日アレルギー」が出た日本。そのはざまにいる僕は、両国のネットの発言を追ううちに、ギャップの大きさにめまいがした。
(中略)
 そもそもなぜ、僕や韓国人はイチローの発言と日本の反応を過剰に意識したのかを自問するにいたった。足を踏まれたと主張する韓国と、踏んではいないという日本。そこで「本当は踏まれていなかった」という仮説を立ててみた。
 すると、日本という巨大な影に怯える小さな韓国の姿が見えてきた。
近代以降の韓国人は、日本という鏡を通じて自らを規定せざるをえなかった。
だから日本に負けることは、自らが否定されることになる。幼い頃の僕は、日本人選手と韓国人選手のボクシングの試合を正視できず、トイレの中でひたすら祈っていた。勝利の瞬間を目撃する喜びより、敗北を受け止める精神的苦痛のほうが大きかったのだ。
 日本の英雄に30年間勝てないと言われれば、本当に永遠に追いつけないかもしれないという不安に駆られる。だからこそ、自分の「存在」を賭けて燃えたのだ。韓国人の勝負強さには反日よりも、そんな弱さが同居している。
 日本の視線を気にしすぎるのも、植民地主義を払拭できない現れだ。ヨン様から李承燿(イ・スンヨプ)まで、日本で韓国人が活躍することに自己満足する。李が「4打数1安打」でも韓国でニュースになるのは、確かにいびつだろう。
 もう日本の言動に一喜一憂するのはやめよう。韓国人の日本コンプレックスは簡単には変わらない。だが、そろそろ日本という呪縛から解放されてもいいだろう。そのことで、韓日関係の新たな地平が開かれるかもしれない。

(以下略。抜粋です、全文はニューズウィーク誌2006年6月7日号でご確認下さい)
ソース(ニューズウィーク日本版、2006年6月7日号)
http://www.newsweekjapan.hankyu-com.co.jp/
TOKYO EYE:僕が日本を本気であきらめようと思った日
Korea's Inferiority Complex コン・ヨンソク氏 より、記者抜粋。
URL:http://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1149588379/l50