高峰秀子さんを悼む


名実ともに時代を象徴する大女優だったと映画に詳しくない漏れですら思う。(-人-)

高峰秀子さんを悼む
佐藤忠男
戦後の心に染みた名演技
日経新聞2011年01月03日、文化欄)
 高峰秀子さんが亡くなられた。高峰さんは日本映画の歴史のうえで数人のもっとも重要な女優のひとりであると思う。とくに戦後の日本映画の黄金時代だった1950年代の業績が素晴らしい。
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 いちばん有名な役は「二十四の瞳」の大石先生である。戦争中に瀬戸内海の島の小学校の分教場で12人の小学生たちに温かい愛情をそそいで止まなかったおなご先生が、その教え子の何人かを戦争で失って悲しみにくれる。その悲しみの深さと美しさはイデオロギー的対立を超えて日本中に共感のうねりを起し、戦後日本人の反戦思想のいちばん納得のゆく共通の原点のようなものにさえなった。(略)高峰秀子の一点の邪気もない演技が戦後の日本の平和主義のシンボルをつくりあげたのである。
 高峰秀子はこの作品の前に、おなじ木下恵介監督で「カルメン故郷に帰る」のヒロインのストリップのダンサーを演じている。(略)高峰秀子の演技自体はまことに伸び伸びしていていて愉快であり、戦後にわれわれが知った解放感のもっとも率直な表現だと思われたものである。
 その後、彼女は成瀬巳喜男監督の「浮雲」に出演して畢生の名演技と大方の評価の一致する熱演を見せる。(略)当時日本人が誰もが感じた国家によって裏切られたという思いを、正直につきつめたような役といっていい。そのとめどもない愚痴の吐露が痛切だった。
 もうひとつ、やはり当時の成瀬作品の「稲妻」で、彼女は、やたらと甘え合いもたれ合う古い庶民的な家族のあり方に反発して自立しようとする娘を好演している。これは合理的、近代的な人間関係を求める戦後日本人の出発点のような役である。(略)
 以上の4つの役は敗戦の受け止め方がそれぞれに違うが、どれも本当にそうだそうだとうなずかずにはいられない演技だった。そこには共通して、あの時代の国民的な課題と言っていいテーマがあった。それをつぎつぎと名演技で見せてくれた彼女は国民的女優だったと言っていいだろう。(略)

追記)
ちなみに『二十四の瞳』は戦後の反戦気分を代弁したのであって、戦中のリアルではない。誰かも書いていたが大石先生が戦時中にあのような態度を取ることはアリエナイ。リアル時代物じゃないことに注意。