竹島問題、韓国政府主張最新版

 
尖閣問題での日本のバカウヨクのウヲッチも飽きたので、竹島問題での韓国の主張を検証。
元外交官なので政府見解に近いと見ていいだろう。
日本に有利な論文を書いている(発表された後ではなく)時点で学者を折伏し止めさせる。
この積極的な姿勢は学ぶべきですな。
日本のネトウヨの皆さんも国内でオダあげてないでフランス語でこの人にメールでも書いたほうが有意義じゃないの?
歴史論争はもう決着がついているんだよ。問題は戦後なのだ。
しかし、こんな論点ずらしで折伏される学者もしょうもないねw
 
追記)
ただ、気になったのは、この元外交官の最終経歴がネパール大使とかいう閑職なところ。
竹島担当はたいして重視されていないのかもw
あとマリアンヌ教授なる人物もネットで見つからないんだけど、実在するのか?

竹島問題】日本が国際司法裁判所に自国の判事がいても勝つのは難しい理由★3[08/18]
1 :HONEY MILKφ ★:2012/08/20(月) 07:12:47.46 ID:???
【独島紛争特別寄稿】「元々日本領土ではないので失うモノは無いという下心」 ホン・スンモク韓国国際協力団理事

独島問題専門家として外交通商部で10年間独島問題を担当したホン・スンモク元ネパール大使が特別寄稿を送って来た。
国際法規課に勤めた彼が、1996年に独島関連論文を作ったフランスの国際法学者のティエリー・マリアンヌとの対談を整理、要約した文だ。
マリアンヌ博士は独島の領有権が「日本側にある」という主旨の論文を書いていた途中、この対談の後に論文テーマを北方領土に変更した。
この文は国際法学者たちに後に伝わって、2003年に『対韓国際法学会論集』に掲載された。
最近ホン元大使のブログなどを通じて伝わりながら話題になっている。

(超短縮訳版)
■ 国際裁判を韓国はなぜ拒否するのか。

「ICJという特定の法廷へ行く事に対して異見があっただけだ」

「日本はICJに判事が居るが韓国はいない。中国とロシアはICJにそれぞれ判事を置いている」
「日本は尖角列島紛争・北方領土問題では拒否しており、一貫性がない」
「日本は、敗訴でも失うものがなく勝てば純利益なので提案」

(にゃんこのコメント)
「判事が日本人だから不公平」という反論は法廷侮辱罪じゃないの?
こんな主張していたら逆にバカにされる。
あと1996年はいざ知らず、いまは15人の判事のうち日本人は1人だけなんだから、
今はこの言い訳はとおらないわな。

(2012年4月27日以降の判事一覧)
USA : Joan Donoghue
Russia : Leonid Skotnikov
PR China : Xue Hanqin
UK : Christopher Greenwood
France : Ronny Abraham
Japan : Hisashi Owada ★
Italy : Giorgio Gaja
Slovakia : Peter Tomka
India : Dalveer Bhandari
Mexico : Bernardo Sepúlveda Amor
Brazil : Antônio Augusto Cançado Trindade
New Zealand : Sir Kenneth Keith
Morocco : Mohamed Bennouna
Somalia : Abdulqawi Ahmed Yusuf
Uganda : Julia Sebutinde

 
■ 韓国は自信ないのでは?
 
「日本は最初に独島を奪い、5年後に残りの全国土を植民地化。
 よって独島は『主権と独立の象徴』として特別な意味を持つ。
  
■ 独島が1905年以前に韓国領土という根拠は?
  
「韓日二つの隣近国家の間に位置して無主地はありえない。
 1906年鬱陵島郡主は『独島領有』の日本伝達に対して中央政府に調査建議した」

(にゃんこのコメント)
鬱陵郡主沈興澤の件ですね。逆に言えばこれが朝鮮側の領有意識のスタートです。
鬱陵郡自体が1900年に設置された新しい郡で、既に日本人の経済活動は20年以上前から行われていますので、その知見から竹島の存在をしり、自郡に所属と考えたと思われます。中央政府のほうがわかっていたかは不明です。問題はこの後朝鮮政府がなにも言った形跡がないところです。この時点で論争になっていればもっと判りやすかったのに。

  
■ 証拠となる歴史記録はあるか?
 
「于山島・三峰島・カジ島という名前が残る」

(にゃんこのコメント)
名前だけかよwと思った。
アシカは竹島にしかいないから!とかすぐばれる嘘ついて。。。
 
于山島→省略。于山島とは鬱陵島のこと。
三峰島→「人が多数居住する肥沃な島」これも鬱陵島のこと。
可支島→鬱陵島の付属島のこと。1日で往復。昔はアシカ(可支魚)は鬱陵島にもいた。

■ 安龍福事件の英雄譚は根拠として妥当か?信憑性も疑わしい。
 
「安龍福という庶民から中央政府に至るまで認識が一致する事を現わす」

(にゃんこのコメント)
話を逸らすw

■ 日本古地図に対する見解?
 
「おそらく日本の古地図に韓国の領土と認めたものが更に多いだろう」
鬱陵島と独島をまとめて示す場合、鬱陵島が韓国領土なら独島も当然韓国領土だ」

(にゃんこのコメント)
「おそらく」はないだろwww
地図に両方描いてあったら両方同じ国の領土とか、どういう理屈だよ。
日本人にとって鬱陵島が目的地。竹島は経由地。なので一緒に描く。

■ 日本固有領土説に対する見解?
 
「嘘をついてバレたら更に大きな嘘をついただけ」
「『固有領土説』は日本が帝国主義植民地主義に換えた補強説」

(にゃんこのコメント)
なんの反論もできない。帝国主義とか植民地主義とかわめくだけ。これが火病というやつ?

参考)
http://windows2012.bakufu.org/
http://outdoor.geocities.jp/yabutarou01/a/newpage2.html
http://takeshima.cafe.coocan.jp/wp/
http://take859201goole.wiki.fc2.com/wiki/%E7%8B%AC%E5%B3%B6%E5%91%BC%E7%A7%B0%E8%80%83
http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/web-takeshima/takeshima04/sugi/

(オリジナル)
■ 独島領有権紛争に関連する韓国の立場を説明する事が出来ますか?

「1965年の韓日基本協定締結会談以降、韓国側の立場は『国際法的、歴史的にあまりにも当然韓国の領土
なので、些細な言い掛かりには反論しない』という程度だと思えば良いでしょう」

■ 紛争を国際裁判によって平和的に解決しようという日本の立場を韓国はなぜ拒否するのか。韓国が法的
には自信がないという証拠ではありませんか?

「日本は国際司法裁判所(ICJ)に行こうと言って、韓国はこれを拒否しただけだ。すなわちICJという特定の法廷
へ行く事に対して異見があっただけだ」

■ 韓国はICJに行くことを拒否する特別な理由があるという意味ですか?

「勿論だ。おそらくICJに行っても韓国が勝つでしょう。しかし日本は二つの特別な理由で、ICJに行けばこそ自分
にも僅かな勝算があると見てICJに固執している。韓国はあえて不公平だと感じながらもICJに行く理由はない
ので反対している。まず日本は『ICJによる紛争の平和的解決』を主張しながら、中国との尖角列島(中国名=
釣魚島)紛争はICJに行かなければならないと主張しないのは変だと思わないか」


■ 実効的に日本が占有しているから反対していると見えますが

「自分たちが実効的に占有している場合は裁判に行けないし、相手が実効的占有をしている場合にだけ裁判に
行こうというのはどんな論理だ。似ている問題を置いて一貫性がない事が殊常(fishy)していないか」

■ 独島を実効的に占有しているからICJに行かないという点で、韓国も日本と似ていると思いますが

「まことに純粋(naive)な考えだ。それならいわゆるロシアとの『北方領土』問題では、ロシアが該当の島々を
占有しているので日本は積極的にICJに行こうと言わなければならないだろう。むしろロシアが積極的で日本
はロシアの提議を拒否していないのか」

■ その通り。どういう理由だと思いますか?

「簡単だ。日本はICJに判事が居るが韓国はいない(※現在日本人は所長を含む判事が2人。韓国人はいない)。
韓日間の問題はICJに行く事がはっきりと自分にアドバンテージ(advantage=利点)があると見たのだ。しかし
中国とロシアは日本と同じくICJにそれぞれ判事を置いているので、日本は何らのアドバンテージを期待する
ことができない」

■ 日本が ICJを固執する理由が二つと言ったが、残りの一つは?

「日本は『独島を領土に編入した措置は植民地主義とは無関係だ』と主張するが、内心では保守的なICJが
少なくとも1905年日本の独島編入当時には、植民主義による措置も合法だと判断してくれると期待している。
当初より日本の領土ではないから敗訴となっても失うものがなく、たまたま勝てば純利益という計算のためだ。
日本としては一種の『負担のないゲーム』を楽しめるという意味だ」

■ 率直に韓国が自信ないから過剰反応を見せているという外部の視覚もありますが。

「韓国国民には独島が『主権と独立の象徴』として特別な意味を持つ。20世紀の初めに日本が韓国を植民地
にする時、第1段階に1905年に独島を奪い、その 5年後に第2段階に残りの全国土を奪って植民地化を完成
した。 日本が『竹島は日本の領土』と話す事が、韓国国民には『君逹はまだ完全に独立したのではなく、部分的
に我々の植民地だ』という意味になる。こんな侮辱を受けて冷静になる事ができようか。ドイツがフランスに
アルザス=ロレーヌは返してもらわなければいけない。パリが占領される前に既にドイツが占領していたじゃ
ないか!』なら、フランス国民がおとなしく『そのように見る事もあるのね。裁判で解決した方がいい!』と言える
のかを問いたい」

■ 韓国は日本の『1905年の領土編入措置』が無効だと主張するけど、独島が1905年以前に既に韓国の領土
という根拠は十分でしょうか?

「一つ質問しよう。日本の主張どおり独島が1905年までは無主地(terra nullius)だったという可能性が本当に
あると思うのか」

■ そんなこともあるのでは?

「本当にに植民地主義的な発想だ。20世紀になって太平洋の遠くの場所で『新たに発見された土地(terra-
incognito)』ならともかく韓日二つの隣近国家の間に位置していて、既に何世紀も前から両国国民がその島
の存在をよく分かりながらその近くで漁業をしてきた場合、両国のうちの一国の領土と思うのが常識ではない
のか。1905年に本当に無主地ならばイギリスでもロシアでも、それともキューバでもエチオピアでも、どこの
国でも先に独島を自分の領土に編入できたという論理だが・・・妥当だろうか」

■ 1905年に既に韓国領土だったことを韓国が積極的に立証しなければならないのではありませんか?

「もちろん韓国領土だったという証拠は充分にある。1905年に日本が密かに領土編入措置をした後も韓国政府
はこれを全く知らなかった。しかし日本政府は同じ年に韓国政府の外交権を奪取した後、翌年の1906年に日本
の役人を鬱陵島に派遣して、郡主に『独島はもう日本領土になったので独島を見回りにきた』と伝えた。これに
鬱陵の郡主は驚き、中央政府に『本鬱陵郡所属である』 独島に対して日本人の管理一行が伝えて来た内容を
報告、内容を調査するように建議した。当時の両国政府の領有意識をあまりにも正確に反映していないか」

■ 1905年以前の歴史記録として、独島が韓国の固有の領土である事を立証できる物は何がありますか?

「『(歴史記録にある)于山島』は于山国という歴史的な国の名前から出たもので、三峰島は独島の外形が3つの
峰を持ったように見えることを現わしたと推測されている。また、カジ島(カジド)はカジ(オットセイ)が住む島という
事から来由した名前だ。独島にオットセイがたくさん居た事実は日本の19世紀の記録にも出てくる」

■ 安龍福事件というちょっとしたエピソードを韓国側が独島領有権主張の主要根拠にしていると知っているが、
個人の英雄談を領有権の証拠に立てる事が果して妥当だと思うのか。その上に安龍福が違法者として問責を
受けて供述した内容のため、信憑性も疑わしいはずですが。(※朝鮮肅宗の時に漁夫だった安龍福は、日本へ
行って鬱陵島と独島が朝鮮の地という通知文を得たが、官員詐秤などの理由で流刑された)

「『鬱陵島と独島は明らかに韓国の領土』という認識において、安龍福という庶民から中央政府に至るまで一致
する事を現わす記録なのでら重要だと見ている。安龍福は人に害した破廉恥な犯罪者ではない。強盗を捕まえ
るために車道に跳びこんだら結果的に信号無視違反になったのと同じだ」

■ 日本古地図に独島を日本領土に表示したのが多い事はどう思いますか?

「おそらく日本の古地図に韓国の領土と認めたものが更に多いだろう。日本の古地図の共通点は鬱陵島と独島
をまとめて韓国領土と表示したり、あるいはまとめて日本領土と表示しているという点だ。もし鬱陵島が韓国領土
なら独島も当然韓国領土という認識を現わしているのではないか」

■ 日本は独島が『1905年の編入措置以前から日本の固有の領土で1905年に島根県編入させただけ」と主張
しているが、この『固有領土説』に対してどう思いますか?

「嘘をついてバレたら更に大きな嘘をつき、難を兔れようとする幼稚な発想だ。『固有領土説』とは日本が第二次
世界大戦の敗戦後、過去の帝国主義植民地主義の効力に疑問が生ずると、従来の『領土編入説』を補強する
ために急に作り出したのだ」

山海関と嘉峪関

歴史的な中国の北辺はハッキリしている。
長城だ。
この塀の西の端のゲートが嘉峪関、東の端のゲートが山海関だ。
  

右端に老龍頭=山海関の先端部分、左端に嘉峪関。
  

山海関はこんな感じ。要塞は海に突っ込んで終わる。
 

絵図で見ると位置づけはっきり。
山と海に挟まれた10kmくらいを要塞で塞いでいる。
この南側が関内=中国。外側が関外=満洲。またの呼び名を関東という。
    

嘉峪関はこんな感じ。

要塞は崖で終わっている。
 
 

中国本土

 

 
政治的にビミョーなのであまり聞かなくなった表現。
そうはいっても、多くの人は今の中国領土は歴史的な中国とは違うんだろうなあ、という認識はあるだろう。
ここでは辛亥革命のころまで中国革命同盟会漢民族派が掲げた十八省をメモしとく。
 



 
河北省
山西省
 
山東
江蘇省
浙江省
安徽省
江西省
 
福建省
広東省
広西省
  
河南省
湖北省
湖南省
 
陕西省
甘粛省
 
四川省
貴州省
雲南省
 
モンゴル以外の華北・華東・華西・華南に、ウイグルチベットの東部5省を足したものなんだね。
というか、江西以外の「○○自治区」と満洲青海省を除いた部分。
面積でいって現在の1/3くらい。ということは日本の10倍。
マニアとしては「歴史的な中国は日本の10倍くらいの大きさ」というイメージでいいと思う。
 
追記)
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51530672.html

芸者と淫売屋

たとえばストリッパーというのは、赤裸々に言えば、陰部を開陳することが仕事なわけである。それでも彼女たちはショーガールであり、売るべき芸がある。踊っている姿は楽しそうだしプライドを感じる。これが単なる売春であったらどうなるのか?そこに「労働」というものの本質の一端が示唆されている希ガス
 
追記)
ところでソープランド嬢の各種テクニックは、これはこれで非常にニッポン的な、高度に発達した世界に類例のない文化だと思う。あれはあれで技能に対するプライドがあるのだろうか。消滅する前に研究が望まれる。
 

http://tsujimoto.asablo.jp/blog/2012/07/22/6518872
 赤松啓介氏は共産党員として逮捕され、特高から厳しい拷問を受けたのですが、非転向を貫きました。そんな彼でも、1945年の戦争末期ともなると、何時までも牢屋に閉じ込めていくわけにはいかなくなりました。彼は治安維持法ではなく、行政執行法で何年も警察の豚箱(留置場)にいたのですが、警察の人手不足のせいだったようで、釈放されました。しかし下っ端とはいえ、非転向の共産党員です。
 
 彼は出獄後、軍需工場(といっても軍服を作る工場)の監督として働くことを命じられました。そこでは、芸者や売春婦(当時の言葉では「淫売屋」)が戦時動員されて働きに来ており、それを監督する仕事だったのです。ここからが、民俗学者としての赤松啓介は本領を発揮します。芸者と淫売屋の性格が明瞭に違っていることを記録し、資料化していくのです。
 
 芸者は芸を習ってお金を稼いできた女性で、売春もやりますが、やはり芸の習い事をしてきたというプライドがあります。従って負けん気が強いのです。少しでもいい軍服を作ろうと、お互いに競争するようになります。
 しかし淫売屋は、全く働かない。言われたら言われただけのこと以外は、しようともしない。少しでも楽しようと、監督に言い寄ったりすることもあったとのことでした。
 この全く違う性格を有する女性たちを監督して軍服を作らせるというのが、彼の仕事だったわけです。戦争末期の短い期間でしたが、彼はそれでも民俗学徒として、あらゆる人間活動現象を観察し分析することを怠らなかったということです。(略)

日韓合邦無効論

ひさしぶりに「サーチナ」の引用にあったので思い出しメモ。
  
Q:日韓合邦は無効、という根拠は?
A:第二次日韓協約は脅迫されて結ばれたから
Q:脅迫された、という根拠は?
A:3つある。
 (証言1)西四辻君堯『韓末外交秘話』
      ⇒原本確認できず、西四辻君堯は調印現場にいた可能性は低い、単なる噂話。
 (証言2)林権助述『わが七十年を語る』
      ⇒示威行進・逃亡防止の記述あるが、脅迫といえない。
       調印拒否意思は、高宗が交渉を命じた資料と矛盾。
 (証拠1)条約に皇帝署名なし
      ⇒全権大使署名でOKなのは普通のこと。
 (参 考)
  https://m-repo.lib.meiji.ac.jp/dspace/bitstream/10291/1636/1/sundaishigaku_91_1.pdf
  http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=43
Q:そもそも日韓合邦は無効なら、現在の政府はいつ大韓帝国を継承したのか?
A:ぐぬぬ。。。

 1905 第二次日韓協約=これが無効だとすると・・・
 1910 日韓合邦=これも無効。よって、この時点で大韓帝国存続
 1919 大韓民国臨時政府=すると、この時点での大韓帝国大韓民国の関係は?
 1948 大韓民国成立

韓流は捏造か?(?)

なんという分かりやすい記事(^_^)
数字は嘘をつかない。
 
韓流が成功したといっても売上高で僅か3億ドル。
その8割は日本向け。欧米向けは1%=3億円で誤差のレベル。
この時点で世界で人気の韓流など存在しないことがわかる。
ブームを起こしたといわれる中国4%でもたった10億円。
東南アジア14%は30億円でがんばっているけれど、ASEANは16カ国もある。
 
というわけでもし韓流なるものが存在するとしたらそれは日本に於いてでしかない。
しかしその日本の200億円の売上に対して儲けはたったの8%=16億円なのだ。
採算度外視のイメージ戦略としてならわからなくもないが、商売としては薄利多売そのものだ。
 
以前から指摘したように日本のメディアにとって韓流というのは、一義的には、コンテンツの価格破壊でしかないのだ。
 

本国薄利“韓流ブーム”に疑問 日本市場「一極依存体質」浮き彫り
2012.5.12 10:27

http://sankei.jp.msn.com/world/news/120512/kor12051210280005-n1.htm
 
 ■「対日偏重」「収益不均衡」で岐路
 
 韓国で、「韓流」ビジネスに対する疑問の声が持ち上がってきた。国を挙げたグローバルな拡販政策を展開してきたが、売上高の99%がアジア地域にとどまり、利益面でも韓国にそれほど貢献していない実態などが判明しているためだ。ブームは5年以内に終わるとの調査も出ており、韓国の“国威”がかかる韓流が岐路に立っている。(フジサンケイビジネスアイ
 
 ◆効果は五輪の3倍
 
 韓国経済紙、毎日経済新聞が3月に開いた「第19回ビジョンコリア国民報告大会」で発表された報告書は、韓流が韓国経済にいかに貢献しているかを示した。それによると、映画や音楽など韓流コンテンツの輸出額は、「冬のソナタ」などの大ヒットドラマが中心だった2003年には8600万ドル(現レートで約68億円)だったが、05年には2億2000万ドルに急増。ドラマブームが一段落した06年に1億7500万ドルに減少したが、K−POPが増えた07〜10年には1億8900万ドルから3億1300万ドルと成長している。
 
 これが韓国産業全体にも波及。12年の推計値では文化・芸能以外でも、自動車の2.7兆ウォン(約1900億円)、ゲーム、食料品、観光、家電など幅広い業種に12兆ウォンの効果をもたらすとみている。このままの調子で伸びれば、15年に19.8兆ウォン、20年には57兆ウォンに上ると推計。これは18年に予定される平昌(ピョンチャン)五輪(20.5兆ウォン)の約3倍にも相当する。
 
 韓流は、政府主導で産み出し発展させた戦略モデル。同報告書はそれが大成功を収めていることを示している。
 
 ◆ライセンスの障壁
 
 その一方で、特定市場、特に日本への高い依存度や収益構造の問題点も指摘されている。欧米でもライブを行うなどいまや韓流の主流となっているK−POPだが、韓国コンテンツ振興院の調べでは、アジアでの売り上げが全体の99%を占め、なかでも日本が80.8%と突出する。
 
 しかも、「日韓間の利益配分の問題点も明らかになっている」(韓国政府関係者)。毎日経済新聞によると、5人組のアイドルグループ「KARA」の日本での活動を例に試算したところ、公演やキャラクターグッズ、CD販売など日本での収益のうち、84%は日本側流通業者に渡り、残り8%が日本側プロモーターに。結局、KARA所属芸能事務所の手元に残るのは収益の8%に過ぎないという。
  
 韓国大田市のソルブリッジ国際大の呉寅圭(オインギュ)・韓流研究センター長も、韓流が抱える問題点として「対日偏重」と「収益不均衡」の2点を指摘する。この背景について呉氏は、K−POPはまず世界最大の韓流市場である日本を目指すが、韓国側企業が直接、日本で商品を売ることができない「ライセンス契約」の問題があると指摘する。
  
 韓国側でも収益不均衡の認識が強まっており、日本の情報通信企業と直接タイアップして音楽のオンライン販売などを模索する動きも出ているが、「日本の芸能流通網を無視して日本で存在するのは不可能」(韓国大手プロモーター)との見方が一般的だ。
  
 これに追い打ちをかけるのが、毎日経済新聞のアンケートだ。今年2月に日本、中国、台湾で1200人を対象に韓流について調査したところ、「5年以内にブームが終わる」と回答した人の比率が62%、「すでに終わっている」の18%と合わせると8割の人が否定的な見方をしていることが分かった。
 
 日本市場への「一極依存体質」から脱却したいが、日本市場から離れればビジネスが成立しない。韓流は韓国にジレンマももたらしているようだ。
(ソウル 加藤達也)

兵頭二十八ブログより)
二。
 Christina Mackenzie 記者による2012-5-7記事「Pristine Spitfires Found in Burma」。
  ビルマで戦時中(67年前)、まったく未使用のスピットファイアを英軍が終戦にともなって120機も土中に埋めておいたという。過ぐる2月、その何機かがついに発見されて、非常に状態は良かったので、ぜんぶ掘り出して英本国に送り返してレストアされる予定。キャメロン首相が許可した(英国財産だからな)。

 この発掘、ひとりの英国人農夫が私財を散じて長年探索を続け、とうとうブチ当てたのだそうだ。第一報は『デイリー・テレグラフ』紙が報じた。※そこには「日本軍から隠すため埋めた」とあってミスリーディングである。

 スピットファイアのタイプは、グリフォン・エンジンを搭載したマーク14型である。
 埋まっていた深さは40フィートだった。

 英国人農夫の David Cundall(62)は、過去15年間にわたり、ビルマに12回渡って、£130,000 以上の私費をこの発掘事業に投じてきた。

 そして、戦時中にRAFの飛行基地があった場所で、彼の地中レーダーが、スピットの機影をとらえた。

 埋めた事情だが、英本国からビルマに海送され、基地までは鉄道で運ばれたという。しかし実戦には一度も投入されなかった。そして終戦間際には、スピットの14型は時代遅れなものであった。

 終戦になって英軍上層部は悩んだ。WWII後のビルマは「反英国家」として独立する可能性があった。
 その反英勢力に、旧式とはいえ戦闘機を大量に渡すことになってはまずいだろうと、英国人は思った。
 そこで英軍の東南アジア司令部が、「スピットをすべて埋めろ」と基地司令に命じたのだ。

 かくして、当時£12,000くらいかけて製造されていた新品のスピットファイア120機が、土中に隠されることになった。

 120機は、梱包された状態で基地に集積されていた。それを未開封のまま、土に埋めたので、今も錆びていないわけである。
 梱包は木枠だけではない。機体は油紙で包まれており、その外側にはグリスやタールが塗られている。だから、ほとんど新品同然なのだ。

 発掘には資金が £500,000 ばかり要る。これは英国の「Boultbee Flight Academy」が醵出することになった。作業は、まもなく始まる。

 ※この大規模な隠匿作業が、現地ビルマ人にまったく知られることなく秘密が保たれたというところがおそろしいわ。目撃者も一所に埋まってるんじゃね?